六の宮の姫君

六の宮の姫君 (創元推理文庫)
「円紫さんと私」シリーズ、第4作の長編です。
はっきり言って一風変わったミステリー。「私」が、芥川龍之介の「六の宮の姫君」が書かれた意図を巡って推理するだけの話なのです。書誌学ミステリーっていうらしい。こう書くと、なんだか退屈な話のようですが、そこはさすが北村薫。しっかり人生とは・・・友人とは・・・といったことに触れていて、まさに《人生の卒論》の趣きです。この 《卒論》は、一生をかけて書き上げていくものでしょうね。ちなみに、この作品、あまり円紫さんの出番がありません。円紫さんファンには物足りないかも。

芥川龍之介は私も結構好きな作家なのですが、恥ずかしながら「六の宮の姫君」は未読です。そのかわり(?)、「歯車」や「河童」、「或阿呆の一生」、「蜃気楼」などは読んでます。この辺の作品群は芥川の後期の作品で、もうかなり神経が擦り減っていて痛々しいんだけど(TT)読んどいて良かったと思います。(北村薫の)「六の宮の姫君」を理解する上で、この辺りの作品を読んでいたことは助けになりましたから。全部、短編もしくは中編なので、1冊の文庫本に収まって売ってます。買わないまでも、ぺらぺら〜っとめくってみるだけでも、(北村薫の)「六の宮の姫君」が身近に感じられるのではないでしょうか。純文学になじまない人もちょっとやってみて!オススメです。

印象的なのは、やはり、芥川と菊地寛の友情の在り方でしょう。お互いに誉めあうだけではない、文学というお互いの人生をかけたものを通して、考えの違いについて意見を交し合えた友。貴重です。

でも、私がそれ以上に貴重だと思ったのは、芥川の「人生を斯ありたい」という気持ちの強さです。その強さは、「私」の言葉を借りれば、《羨望》であり《嫉妬》の情を生むほどだった。そこに痺れました。今の私に(もしくは現代人に?)、「違う違う!そうであってはならないよ!」と激しく思うほどの気持ちの指針があるでしょうか。そんな指針があったら、ひたむきに真っ直ぐに生きられるのだろうな、と芥川を羨ましくなってしまったのです。

長々と、小難しい感想を述べちゃいましたが、軽快で読みやすいシーンもあります。正ちゃんと裏磐梯へのドライブ旅行のくだり、夏の山の涼しげな感じが伝わってきてとても良いです。

それから、「私」がコンサートで隣に座った男性に好感をもつというところも良い。着実に大人になってるな〜って母のような心境に(笑)