「邪魅の雫」

邪魅の雫 (講談社ノベルス)
邪魅の雫」読み終わりましたよ〜。ネタばれの部分は、白抜きにしますので、ドラッグしてね。


今回、読み始める前から「榎さんがいつもと違う。」という噂を聞いておりまして。さらに、京極堂の出番も少ないし(ヤフーのインタビューに寄れば、京極先生は京極堂出すつもりなかったみたい)不満の読者もいるかもしれないなーと思ったけど、私は「邪魅の雫」けっこう好きだ。


次々と毒殺される被害者達に関連性がなく、宇都木、真壁、原田という3人の女性の名前がたびたび挙がるが、いまいち3人の素顔が見えてこないモヤモヤ感。
一つ手がかりがつかめたと思ったら、次にはその手がかりの渦中にいる人物(犯人)が殺されているという矛盾。

謎が謎を呼ぶ展開で、次はどうなるんだ的面白さがあったと思う。


でもね、そういういわゆるミステリの謎解きは置いといて「殺意とは何か」というのが「邪魅」のテーマだったと思う。
京ネコ友達のakiさんによれば、「魍魎」と「邪魅」は対になっている話だそうで。「魍魎」ではいわゆる「通りものに当たった」というのが殺意の説明になっていて、すごく心に残っているんだけど、「邪魅」では殺意=黒い雫(毒)なのだというのが、またすごく分かりやすくて面白かった。


嫉妬?怨恨?金銭トラブル?恋愛感情のもつれ?そんなものは誰でも持ってる。
それが殺意に結びつくかどうかは、あの雫を持っているか否かなんだ。


この結論は、とても恐ろしい。動機は何か、解明しても事件解決につながりはしない。というより、動機なんて解明することは不可能なんだ、と思い知らされるのだ。いつ、自分に(あるいは隣人に)その雫が回ってくるのだろうか、私達はその恐ろしさを忘れて生きている。


ラストシーンは、榎さんの優しさだと思う。
神崎宏美の気持ちは、私には分からない。でも「僕は君が嫌いだ」こう言われることで、何かが落ちる。
他の女に盗られるとか盗られないとか、関係ない。榎木津は自分を好きではない。
もう、自分の殺意と向かい合わなくていい。――瞬間、神崎宏美と同化した私は、そう思ったのだ。


<名言集>
「面白くないのは面白がらないからだ。面白いと思えば大抵のものはオモシロい。面白がれない疾(やまい)でもあるまいに」(榎木津礼二郎
世の中のニートに捧げたい言葉(笑)こんなところが、榎さんと京極堂って似てるよね。